古今和歌集は、醍醐天皇の勅命により万葉集に撰ばれなかった古い時代の歌から、紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑ら、撰者の時代までの古今の和歌の名作を選んで編纂し、延喜5年(905年)4月18日に奏上された初の勅撰和歌集です。
紀貫之による序文に次のように記載されています。
引用はじめ---
やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。
世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひいだせるなり。
花に鳴くうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。
力をもいれずして、あめつちをうごかし、目に見えぬおにがみをもあはれとおもはせ、をとこをうなのなかをもやはらげ、
たけきもののふの心をもなぐさむるは歌なり。
引用おわり---
意訳
和歌は、人々の心の中の気持ちが種となって、発芽し、それが様々な言の葉となって花開いたものだ。
世の人は、いろんな出来事を体験するので、心に思ったことや、見たもの聞いたことを、和歌という言葉に残すのだ。
花の季節に鳴く鶯、水辺の秋カエル(カジカガエル)の鳴き声を聞いても分かるように、およそあらゆる生き物は全て歌を詠んでいるのだ。
和歌は、言葉であって物理力を備えていないにも関わらず、我々の心の中で天地をも動かし、
鬼神をも感動させておとなしくしてしまうし、男女の仲もうまく取り持ってくれるし、
猛々しい武士の心も慰めてしまう不思議な力を持っているのだ。
鑑賞
8世紀から9世紀初頭に掛けて、公文書は全て漢文ですし、日本語には文字がありませんでしたから、中国大陸から輸入された漢字をつかってやまとことば=日本語を文字に記載する場合は「当て字」として記載したのであり、かたかなひらがなは漢字をくずして記載した省略形でした。そのため、漢文よりも和文は価値が低いものとされていたのですが、7世紀から8世紀にかけて成立した万葉集の時代より、少しずつ、和歌の価値が認められるようになり、ついに天皇より国家プロジェクトとして勅撰和歌集の編纂が命じられるに至ったということになります。序文では、「和歌の効用」が説明されていますね。ヒトに限らず、あらゆる生き物は声を発しているので、ヒトが感動して自然にことばが口からあふれてくるのは自然の発露であり、ウグイスの鳴き声のように美しいものだと気が付いた、という訳ですね。和歌は、ヒトの心の中の天地をも動かし、世の中を動かす鬼神をも封じ込め、男女の仲も取り持ってくれるし、弓矢で敵を倒してしまう勇者の気持ちまで動かす凄いものだよと説いているわけです。これは日本文化の巨大な遺産ですから現代の我々も思い返して活用しない手は無いと思います。
心理カウンセリングの手法で、うつ病に対する認知行動療法というものがありますが、これは、繰り返しマイナス思考に固執してしまう「認知の歪み」を対話によって修正していくという技法なのですが、和歌を詠んだり、聞いたりすることは、これに近い作用があると平安時代の歌人は気付いていたのかも知れません。
※国立精神・神経医療研究センターHPより認知行動療法とは
http://cbt.ncnp.go.jp/guidance/about
※wikipedia 認知行動療法
https://ja.wikipedia.org/wiki/認知行動療法
「そんなくよくよしてないで、和歌を詠んでみよう」と言っているかのようです。和歌によって新たな視点を獲得して、閉塞した自動思考(スキーマ)から脱却できる可能性があります。うつ病を改善してしまうのですから「言葉のクスリ」と言って良いでしょう。
秋の2首を御紹介します。
---
詞書き(ことばがき)=秋立つ日よめる
秋来ぬと
目にはさやかに
見えねども
風のおとにぞ
おどろかれぬる
藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)
---
意訳
暦の上では立秋というが
景色を見ても明かな兆候は無いのだが
一瞬の風の音に驚き
秋の兆しが感じられた
鑑賞
これは、まず、暦を日々感じましょうということですね。当時はテレビもインターネットもありませんから、月や星や暦というものが、大きな娯楽だったのですね。年に1度見える星の動きの中に、暦として、秋の兆しを読み取り、それを実際の景色の中に探すわけですね。でも、気温も熱いし、どう見ても秋の兆しは分からないんですね。そこに一瞬の風が吹いてきて、「ああ!そうか!この涼しい風は真夏には無かったな!」と感動しているんですね。「やっと熱い夏が終わる!」という喜びを感じ取れますか?当時はクーラーもありませんから、夏が終わるのは少し楽しみな事だったはずです。収穫の秋、味覚の秋ということもありますね。当時の人たちは秋を心待ちにしていたことでしょう。嫌なことを考えるより、楽しいことを考えましょうと、この歌は教えてくれるようです。
---
題しらず
木(こ)のまより
もりくる月の
影(かげ)みれば
心づくしの
秋は来にけり
よみ人しらず
---
意訳
満月だから月見をした
色々場所を移動して
大木の下から繁る葉の隙間から
月の光を楽しんだ
ああ、このように夜長になって
夜風も涼しいのだ
物思いに更ける秋が来たんだなあ
鑑賞
月見をするのに、どうやって眺めたら月が美しいか、それはもう、色々試行錯誤しているわけですね。それで、わざわざ障害物のあるところから見ようとしたわけです。木の葉っぱの隙間から月を見たわけですね。そのとき、秋が来たことを再確認したというわけです。もしかして、去年の秋のことを思い出したかも知れません。今の目の前の悩み事を忘れて、1年前の事を思い出したわけです。そのようにして気を紛らわすことで、悩み事も解けたかもしれません。