いわずと知れた古今和歌集の名歌、百人一首にも選ばれている貫之の有名すぎる歌です。明治文学の正岡子規からは「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」だなんてボロクソに言われてしまっているのですが、管理人の考えは違います。貫之の名歌を何度も何度も、何年も何年も、繰り返し繰り返し口ずさんで、頭の中で思い出して、それで最近気づいたことがあります。
まず、詞書(ことばがき)
「初瀬(はせ)に詣づるごとに宿りける人の家に、久しく宿らで、程へて後に至れりければ、かの家のあるじ、かく定かになむ宿りは在る、と言ひ出して侍りければ、そこに立てりける梅の花を折りて詠める」
(意訳)京都から奈良の長谷寺までお参りするたびに泊めてもらっていた女性の家に、久しぶりに訪ねてみたら、その女あるじが「つれないあなたは心変わりしたでしょうがこちらはこのとおりずーっと昔のままですよ」と嫌味を言われたので、そこにあった梅の枝を折って捧げて詠んだ。
(鑑賞)これは詞書の解釈で長年論争されているものですが、ようするに、宿のあるじは男か女か、つらゆきとはどういう関係なのかという問題なのですが、そんなことは勿論、男女の仲に決まっているわけです!
そして本文です。
「人はいさ
心も知らず
ふるさとは
花ぞ昔の
香ににほひける」
(意訳)よそ様は、さあ、どうだろうか!
こんなに間があいてしまったら心変わりしちゃってるかもしれないが。私は、あの時と同じ梅の香りを感じて、昔の熱い情熱が今この瞬間にも燃え上がっているんですよ!
(鑑賞)名歌の条件として、「言葉の組み合わせを発明する」ということがありますね。例えば額田王の「あかねさすむらさきの行きしめの行きのもりは見ずや君が袖振る」なども、「あかねさす」を発明しているのですが、つらゆきは「ひとはいさ」という嘆息を発明しているのです。「ひとはいさ」とは、記憶に残る言葉です。よそのひとはさあ、どうだろうか!というのです。「いさ」は、「いざ!」という意味ですね。この「いさ」で区切られた間合いが詩情を呼び起こします。
管理人は、この歌を何度も何度も何年も愛唱しているうちに気付きました。この歌は、一時のエピソードに仮託して詠みあげた長年連れ添った夫婦の歌かも知れない、ということです。何十年経っても昔を思い出して配偶者を惚れ直せ、という励ましの歌なのです。「ふるさと」と「むかし」を並べて、「あの頃を思い出せ!」と強力に呼び掛けています。初心忘るべからず、evergreen を詠った和歌なんですね。そう考えると、非常に深い歌に思えてきます。昔を思い出して元気を出せ!昔は良かっただろう?というわけです。全人生を流れ続けて元気づけるテーマソングです。どんなクスリにも優る素晴らしいブレインソングですね。
それにしても、こんな文学、世界にあるでしょうか。ロミオとジュリエットなどは「ねえロミオどうしてあなたはロミオなの?」などと愛し合う描写をしていますし、だいたい世界中で「好き好き」という表現が幅を利かしているのですが、つらゆきのように、梅の枝の比喩で長年連れ添った夫婦の愛を歌い上げる文学は世界に無いんじゃないかと思いますよ。日本人であるならばこの莫大な遺産に触れないのは勿体ないことだなあと思います。
※参考書籍
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