カラー写真集と高野山大学名誉教授の武内孝善氏の監修解説がちりばめられた美しい本です。この本を読んで初めて知りました。空海と弘法大師は別人格なんだそうです。歴史上の実在の僧侶空海は宝亀五年(774年)に生まれて承和二年(835年)に62歳で亡くなりますが、その86年後、弘法大師は延喜二十一年(921年)十月に、醍醐天皇から諡号(贈り名)下賜された名前なんですね。東寺長者の観賢(かんげん)の二度にわたる上奏があったそうです。そして、弘法大師にまつわる数多くの伝説が生まれ増殖していったというのです。弘法大師は一種の社会運動でございました。
弘法大師の言葉にも、癒しパワーが溢れておりますので、この本よりいくつかご紹介したいと思います。
夫れ(それ)仏法遥(はるか)に非ず、心中にして即ち(すなわち)近し。真如(しんにょ=真理)外に非ず、身を棄てて(すてて)何んか(いずくんか)求めん。『般若心経秘鍵』より
(意訳)そもそも仏法は遥か遠くにあるものじゃないよ。我々の心の中にあって近いものだ。真理は外にあるわけじゃない。自分自身をないがしろにして探し求めても無駄である。
(鑑賞)有り難いほとけの教えはどこか遠くにあって探し求めるものじゃないんだよ、あなたの心の中にあるんだから、あなたは既に救われているということに、気付くだけで良いんだよ。
法は本(もと)言(こと)なけれども、言に非ざれば顕われず。真如色を絶すれども、色を持ちて乃ち(すなわち)悟る。『御請来目録』より
(意訳)仏法にはもともと言葉の説明は無いが、言葉で話さないと分からない。真理は形の無いものだが、形に現れて初めて悟ることができる。
(鑑賞)仏の教えも、世の理(ことわり=真理)も、言葉や形で説明できるものではないが、人は言葉や形を得て初めて実感することができる。しかし同時に、それは「本物じゃない」ということを知るべきだ。本物はもっと偉大なものであり、黙って我々全体を包んでくれるようなものだ。そう、我々はずっと守られている。
谷響き(たにひびき)を惜しまず、明星来影す。遂に乃ち(ついにすなわち)、朝市の栄華、念々に之を厭い、巖藪の煙霞、日夕に之を飢う(ねがう)。『三教指帰』より
(意訳)渓谷でこだまが何度も返ってきた時、虚空蔵菩薩の象徴である金星がまた姿を現した。この時私はとうとう仏法の真理に到達し、朝廷や寺院での成功が嫌になり、仏法と一体化できる自然の中のもやにつつまれた生活をこい願うようになった。
(鑑賞)『三教指帰』に記された土佐の室戸岬で修行していた時の或る明け方の神秘体験でした。渓谷に修行の声がこだまして聞こえてくる中で、菩薩の象徴である明けの明星が水平線から立ち上ってきて、それが私自身の中に飛び込んできたような感覚を得た。この決定的な瞬間から、社会的な成功に対する関心を一挙に失い、仏法の真理と一体化できる大自然の隠遁生活を寝ても醒めても切望するようになった。それはあまりにも素晴らしいものであり、「あなたにもお勧めするよ」と語りかけてくるようです。
空海の神秘体験は、経文の研究と入唐求法の原動力になったようです。そして中国西安の青龍寺で恵果阿闍梨に出会い一番弟子として碑文を遺します。
財を積まざるを以って心と為し、法をおしまざるを以って性と為す。故に、若しくは尊、若しくは卑、虚しく往きて実ちて帰る。近き自(よ)り遠き自(よ)り、光を尋ねて集会することを得たり。『恵果和尚碑文』より
(意訳)恵果和尚は蓄財などせぬ心がけであり、仏法を惜しみなく説いて教えた。だから、富貴な者もそうでない者も、みな思い悩んで和尚を尋ね心を満たされて帰って行った。近くからも遠くからも人々が仏法の光を求めて集まり続けた。
(鑑賞)これは当時の中国仏教の情勢の反対言葉になっているのですね。やはり蓄財にいそしみ、仏法を出し惜しみしてふんぞり返っているような僧侶も多かったのでしょう。空海の師となった恵果阿闍梨にはそんな性質はかけらもなく、空海はそれに感嘆し自らの将来の道もこれで定まったという決意も碑文に現れているでしょう。帰国後、造東寺別当に任ぜられ、また高野山金剛峯寺を開創し、真言宗を広めていくことになります。
どうでしょう、全知全能の神様が愚かで迷える子羊の人間に命令して正しい方向に導くという一神教の世界と、仏教の世界の違いは大きいですね。仏法はいつもあなたを見守っているから早くそれに気付きなさい、という感じの教えになっているわけです。それは精神の安定にも役立つことと思います。
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