新古今和歌集は、後鳥羽院の命により編纂された勅撰和歌集です。建仁元年(1201年)、後鳥羽院の御所に和歌所が設置され選定作業が始まりました。編集方針は、万葉集から古今和歌集に始まる7つの勅撰和歌集まで、今まで選ばれなかったものの中から選ぶというものでした。古今東西、身分の高低を問わず、写実の歌から目に見えない神仏の言葉、夢に出て来た情景まで、広く集める方針でした。選者は源通具・六条有家・藤原定家・藤原家隆・飛鳥井雅経・寂蓮の6名ですが、後鳥羽院自身や院歌壇の様々な歌人が編纂に加わったとされ、また、承久の乱(1221年)により隠岐に流された後まで長年改訂が続いたという特徴があります。
秋歌一首、御紹介致します。
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西行法師すすめて、百首よませ侍りけるに
見渡せば
花も紅葉もなかりけり
浦のとまやの
秋のゆふぐれ
藤原定家朝臣
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意訳
晩秋であるから一面みわたしても
夏の名残りの花も、秋の紅葉もすべて無くなっていたよ
この、小さな港の漁師小屋で
秋の夕暮れに
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鑑賞
藤原定家といえば西行と並んで和歌のスーパースターですね。そのツートップが会話しているわけです。文治2年(1186年)2月の「二見浦百首」から採られています。和歌って、最初は美しいもの、華やかなものを詠んでいたわけですが、芸術として昇華して、目に見えない複雑な心情や余韻なども詠われるようになってきたんですね。「見渡せば花も紅葉もなかりけり」というのは、「見渡せど花も紅葉もなかりけり」ということですね。見渡しても綺麗な花も紅葉も無いですよと、詠っているんです。「無い」ということは、逆に、別のものが「ある」という意味なんですね。花も紅葉も無くても、別のものがあるから、良いじゃないかと、その別のものを鑑賞し、良く味わいなさいという和歌なんですね。常識的な一般的な価値観で美しいと思えなくても、別の観点で美しさが感じられるはずであるという話ですね。
「しあわせはいつもじぶんのこころが決める」あいだみつおさんの有名な書画がありますね。是非、東京の有楽町のあいだみつお美術館で現物を観ることをお勧めします。
気の持ちようで、寂れた秋の漁村でも、美しさや幸福を感じられるはずだということですね。潮の香り、浦に夕日が掛かる幻想的な景色、青空と、真っ赤な夕日と、その中間の色、混ざり合って複雑な陰影を織り成していますね。五感と研ぎ澄ませて良く感じ取りなさい、嬉しい楽しい幸せだという気持ちを見つけることができるはずだ、ということだと思います。