古今和歌集は、醍醐天皇の勅命により万葉集に撰ばれなかった古い時代の歌から、紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑ら、撰者の時代までの古今の和歌の名作を選んで編纂し、延喜5年(905年)4月18日に奏上された初の勅撰和歌集です。
恋歌1首、ご紹介致します。
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詞書=むさしの国としもつふさの国との中にあるすみだ川のほとりにいたりて、都のいと恋しうおぼえければ、しばし川のほとりにおりゐて、思ひやればかぎりなくとほくもきにけるかなと思ひわびてながめをるに、わたしもり、はや舟にのれ、日くれぬといひければ、舟にのりて渡らむとするに、しろき鳥のはしとあしと赤き、川のほとりにあそびけり。京には見えぬ鳥なりければ、みな人見しらず。わたしもりに、これは何どりぞと問ひければ、これなむみやこ鳥といひけるをききてよめる
名にしおはば
いざこととはむ
都鳥
わか思ふ人は
ありやなしやと
在原業平朝臣(ありはらのなりひらあそん)
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意訳
武蔵国と下総国の間を流れる隅田川のほとりまで来て、京の都がとても恋しく思い出されたので、川のほとりに降り立って、なんとも遠くまで来てしまったものだと落ち込んでいたのだが、渡し船の船頭が「早く乗ってくれ、日が暮れたら渡れないぞ!」とけしかけたので仕方なく船に乗り込んで渡ろうとしたところ、白くてくちばしと足が赤い鳥が、川のほとりで飛び交って遊んでいた。京の都にはいない鳥なので見たことが無い鳥だった。船頭に「これは何という鳥なのだ?」と尋ねたら、「こりゃあ都鳥というのだ」というのを聞いて詠んだ。
都鳥という名前を背負っているならば、
さあ、きいてみようか、
都鳥さんよ!
私の大好きなあの人は
京の都で息災であろうか?
それとも亡くなってしまっているだろうか?
鑑賞
在原業平(ありわらのなりひら)の最も有名な和歌のひとつです。羇旅歌(きりょのうた)という旅情を詠んだ和歌に分類されているのですが、まぎれもなく恋愛感情を描写した一首ですね。恋愛によって脳が活性化するという記事もありましたが、平安時代の貴族は恋愛感情をとても大事にしていたんですね。
詞書きがながい和歌です。ちょっと壮大な物語の雰囲気がありますね。時間と空間が広大なんですね。
京に思い人を残して東国に下った業平が、見たこともない鳥を見かけて船頭に名を尋ねると「ミヤコドリ」と言うではありませんか!「私はそのミヤコから来たのだが、そんな鳥は見たことが無いぞ!」業平は驚いて船頭に言ったのかも知れません。
「名にしおふ」って、和歌に良くでて来ますが、漢字だと、「名に強負う」と書くでしょうか。まあ強調の助詞「し」は漢字で書くことなんてありませんけどね、「強(し)いる」という意味ですね。だから「名にしおはば」は、「名前を背負っているならば」、という意味ですね。「ミヤコドリという名前を持っているならば」ですね。
「いざ言問はむ」は、「さあ、質問してみよう」という意味でしょうか。ミヤコドリに話し掛けているんですね。鳥に話し掛けることによって、より孤独感が強調されているような気が致します。東京の文京区に「言問通り」って見たことがありますが、これって、この和歌に由来する地名なんですねえ。
そういえば、隅田川に言問橋という橋もありますね。まさか、その和歌の場所がいまだに語り継がれているってことですか?
「わが思ふ人は、ありやなしや」、私の思っている人、私の心の中に常に思い出される大好きな人は、有るのか、無いのか。有るって言うのは、生きている、無しは居ない、この世にもう生きていないということですね。業平は思い人のことをいつも考えているので、ミヤコドリという単語に反応して、このように話し掛けてしまうのですね。それくらい四六時中あなたのことを考えていますよ、という凄い恋愛感情です。
恋愛感情でドーパミン神経が活性化され、意欲や学習能力が高められますから、業平のように恋愛感情を大事にすべきですし、親しい人との信頼関係みたいなものも有効だと思います。感謝の気持ちですね。みんな大好き、みんな大感謝、ですね。あれ、これって、ルイアームストロングのwhat a wonderful world の世界観ですねえ。作詞作曲は、音楽プロデューサーのボブシールさんですか。
日本には業平があり、アメリカにはボブシールが居るって訳ですね!