新古今和歌集は、後鳥羽院の命により編纂された勅撰和歌集です。建仁元年(1201年)、後鳥羽院の御所に和歌所が設置され選定作業が始まりました。編集方針は、万葉集から古今和歌集に始まる7つの勅撰和歌集まで、今まで選ばれなかったものの中から選ぶというものでした。古今東西、身分の高低を問わず、写実の歌から目に見えない神仏の言葉、夢に出て来た情景まで、広く集める方針でした。選者は源通具・六条有家・藤原定家・藤原家隆・飛鳥井雅経・寂蓮の6名ですが、後鳥羽院自身や院歌壇の様々な歌人が編纂に加わったとされ、また、承久の乱(1221年)により隠岐に流された後まで長年改訂が続いたという特徴があります。
春歌一首、御紹介致します。
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百首歌に
はかなくて
過ぎにしかたを
数ふれば
花に物思ふ
春ぞ経にける
式子内親王
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意訳
桜が散るのを見ると、本当にはかないものだ
去年の桜、一昨年の桜、過ぎ去った年月を
数えているうちに
今年も恋に人生に思い悩む
春が過ぎ去ろうとしているなあ
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鑑賞
正治2年(1200年)後鳥羽院の命により献上された「正治初度百首」から採られた一首です。
「はかなし」というのは、漢字で「果無し」と書きますね。現代語とあまり意味は変わらないですね。あっけない、頼りない、という感じでしょうか。桜の花があっけなく散っていく様子を詠んでいるんですね。はかないなあ、、と歌い出して、そういえば去年も、おととしも、こんな感じであっけなく散っていったなあ。何年前まで思い出せるかなあ。年月を数えているときに、その当時の気持ちも一緒に思い出します。気持ちって、まあ、だいたい、好きな男性の事ですね。人生の悩み事かも知れません。桜が散るときに考えていることですから、だいたいマイナス思考ですね。恋愛にしろ、人生にしろ、悩み事なんですね。でも、この歌は「春ぞ経にける」と、思い悩む春は終わってしまったよと詠んでいるんですね。くよくよしても仕方ない、と、悩み事を相対化して、客観視しているわけです。これは、悩みを消化するテクニックと考えることができるかも知れません。
あらためて鑑賞しますと、この式子内親王の和歌って、素晴らしいものが目白押しなんですよね。和歌の天才といえるかも知れません。後白河天皇の第3皇女で、賀茂神社の斎宮を務めた偉い方だったんですね。そんな方が情熱的な恋の歌や、豊かな情景描写の和歌を残しておられるんですね。彼女は10歳から20歳まで斎宮を務め、生涯独身でしたから、恋の歌については、夫婦として結ばれない陰影があるようにも思われます。プラトニックラブというのでしょうか。
有名な百人一首から一首。
玉のをよたえなはたえね なからへは 忍ふることのよはりもそする
意訳=あなたを想いすぎて体調が悪い。我が命よ、絶えるというなら絶えておくれ!このまま生き長らえて、あなたを想う気持ちが弱くなるのは耐えられない!
正治初度百首からもう一首。
夢のうちも 移ろふ花に風吹きて しづ心なき 春の転た寝
意訳=夢の中までも、散りゆく桜花に風が吹いて、心がかき乱されている、春のうたた寝で。
「しづ心なき」って「静心なき」と漢字で書きますね。なんとも幻想的な和歌です。夢の中でも桜吹雪が舞っていて、静かな心がかき乱されてしまう、寝ても覚めてもあなたのことを想っていますというわけなんですね。
式子内親王のファンになってしまいました。全集とか出ているんでしょうか。少し調べてみたくなりました。